『冬の光』イングマール・ベルイマン監督作 感想

映画

今日はどんな気分?

神の沈黙とは・・・

たまに宗教的で哲学的な映画を観たくなるときありませんか?

ありますよね?!

今日はイングマール・ベルイマン監督の『冬の光』という映画を観てきました。

場所は、高田馬場にある「早稲田松竹」という名画座で鑑賞してきました。

「早稲田松竹」では上映終了した映画や、過去の人気作を再び映画館で上映しています。

映画好きにはたまらない場所ですね。

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引用:Amazon

上映日:1963

製作国:スウェーデン

上映時間:86分

ジャンル:ドラマ

監督:イングマール・ベルイマン

脚本:イングマール・ベルイマン

  • キャスト:グンナー・ビョーンストランド、イングリッド・チューリン etc,,,

監督について

この映画は、20世期最大の巨匠とまで称賛される監督「イングマール・ベルイマン」というお方が監督された映画です。

有名な作品として以下が挙げられます。

・「野いちご」

・「処女の泉」

・「第七の封印」

・「沈黙」

・「ファニーとアレクサンデル」 などなど

生誕100周年で映画祭が行われるほどの有名な監督とのこと。(私はそんな有名な監督とは知らずに上記の映画見てました笑)

また、数々の映画監督に影響をもたらしたと言われ、あの「スタンリー・キューブリック」でさえ、参考にしているらしいです。反対に「処女の泉」は黒澤明の「羅生門」からインスパイアされているとのこと。

古典的な、言い換えるならお堅い雰囲気のある映画が多いですが、実はよく観てみると、現代の人々の考えにも近いテーマの映画が多いと私は感じます。

映画好きなら一通り観ておかなければならないと思い、今回はふらっと観てみることにしました。

どんな映画?

一言で言うと、【神の沈黙】これがこの映画の主軸となるお話です。(←何言ってんだこいつ、、)

◆この映画で得られることとは、、。

・神が人を救うのではなく、人が人を救うのでは?と考えさせられる。

・人が救われるのはどんな時かを考えさせられる。

・祈るという行為の美しさについて考えさせられる。

◆人物・場所

登場するのはスウェーデンのある小さな街で暮らす一人の牧師(グンナー・ビョーンストランド)である。

彼は、何かにすがる想いで教会にやってくる人達に、キリストの一部とされる「パン」とキリストの流した血と言われる「ぶどう酒」を分け与えることで、神が救いをもたらしてくれるのだと人々に説く。いわば希望をもたらす立場の人間である。(あるいは偽善なのではないかという彼自身の葛藤があることが本作では描かれる)

普段から人々に希望をもたらしている立場である彼だが、いくら神に祈っても希望が目の前に舞い降りてはこないことを悟る。

それは牧師である彼自身が、最愛の妻を亡くし、絶望の淵に立たせされているのに神は一向に救いの手を差し伸べてくれないことから悟ったのであろう。

神が実在しないことは承知の上であったことであろう。

しかし、彼は牧師の親から育ち、親から牧師になれと言われ、そのレールの上を歩いてきた人生から、神が存在し、それが人々に希望や幸福をもたらすと信じなければならない立場なのである。

彼は次第に、悲しみや悩みを抱え、自分にすがってくる人に対して「神を信じなさい」といういいかげんなアドバイスをすることに嫌気がさしていた。(宗教上・職業上それが偽善であったとしても、そうでないものとして振る舞わなければならないため)

彼の中で、上記の行為は偽善なのではないかという疑問が芽生えてくる。

悩んでいる人に対して「神はただ遠くから見守っているだけである。。」そう言い放ったことがすべてであると感じました。

◆考察

結局のところ【神の沈黙】なのではなく、そもそも存在しないのかもしれない。あるいは世の中、神ではなく【人が人を救う】ものなのではないかと私は考える。

この映画の時代背景や宗教的なことはよく分からないが、神の救いの話ではなく、結局、人は人同士でないと問題を解決できないのであると思わされます。

神にすがりすぎることで、いざ絶望の淵に立たされた時には落胆や失望が大きくなるかもしれないと私は考えます。

主人公の牧師は最愛の妻を亡くし、人生に絶望していたが牧師としての勤めはしっかり果たします。(真面目な人ほど損をする日本人のような性格だなあと感じました。)

彼はしだいに「(誰よりも神に近く、祈りを捧げているのに)なぜ神は答えてくれない?」と思うようになる。これは一重に神に近すぎるということが問題なのではないかと思います。何かへの期待が大きい時に、それが与えられない際により落胆した気持ちになることと同じように。

皮肉なことに、彼は神に一番近い存在であるのに関わらず、報われないのである。

ではどうしたら救われる?

そんな悩みを抱える一人の牧師に、ある女性が好意を抱く。

猛烈なアプローチをしてくる彼女。しかし、どうしても亡くなった妻を忘れられない主人公はどんなに好意を抱いてくれても、その女性を愛することができない。

「神が答えてくれない」と嘆く牧師に対して、彼女は「神なんていないのよ」とささやく。

◆構図

牧師:神は見ていてくれるはず。なぜ答えてくれない。

祈れば必ず報われると考えていた。しかし、人生の全てを祈りに捧げてきたのに関わらず、人生が報われない。むしろ辛いだけである。けれども神の否定をしてしまえば、自分の人生そのものの否定になってしまう。

そんな中、神なんていないと言う女性から猛烈なアプローチを受けるが、亡くなった妻を超える人なんていないし、神の否定=自分の存在意義の否定をすることに嫌悪感を感じている。(自分自身でも「神はいない」あるいは「自分の行為は偽善である」と薄々自覚はしているが)

女:神なんていないわよ。結局愛が大切なのよ。愛のために祈る。

自分が牧師の病んだ心を支えてあげられると信じている。

女性は足繁く教会に通う。それはつまり、祈りを捧げ続けることで彼(牧師)と結ばれ、幸せになれると信じている。それが彼の幸せにも繋がると思っていた。(結局それは彼に縋り付く中での幻想に過ぎなかったのではという考察)

この両者の考えから、人生の悩みや苦しみというものを人はいかに解決していくか、(神か人か、あるいは)私たちに問いかけてきます。

結局二人は結ばれないのだが、この「祈る」という行為はただ単に自分のために祈るのではなく、他者や亡者、そして神、各々の想い・願いが込められていることを考えるととても美しい行為であると思いました。(特に最後の女性の祈りのシーンが個人的に美しかったです。)

人は何かにすがることでしか生きていけない、わけではない。すがることは確かに心の支えになるかもしれないが、結局のところ人は「存在しない何か」から与えられるもの(受動的姿勢)によって救われるのではなく、「目の前の人」や「自分自身と向き合う」こと(能動的姿勢)でしか解決できないのであると、この二人から考えさせられました。

個人的評価(100点満点中)

総合点はズバリ、、、

53点

★5段階詳細評価は以下のとおりです。

一人★★★☆☆

恋人★★☆☆☆

友達★☆☆☆☆

正直そんな面白くはないです笑

コンディション悪かったせいか分からないですが、序盤にものすごい睡魔に襲われて寝てしまいました。宗教についてはよく分からなかったですが、最愛の妻に先立たれた系の物語は自分の好みなテーマであったので悪くはなかったです。

もっと歳を重ねてから再び鑑賞するとまた感じ方が変わってくるのかなと、そう思わせてくれる、そういう類の映画であると私は思いました。

まとめ

時代背景や宗教観の異なる映画でしたが、哲学的で難しいと思いきや、意外にも現代の人々の考えにも通ずる映画だったのではないかと私は思います。

(めちゃくちゃストレートに振った女性に車の運転をさせたシーンは流石に笑いましたが笑)

ではこの辺で。

みなさんも素敵なキネマトライフを!

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